ラジオ放送 2022/4/7 (文字起こしNo.1) https://comiten.jp/
フミ:さて今週の素敵なゲストお招きしております。人生をより豊かに楽しくしてくれるお話を伺いたいと思います。本日のゲストはバイオリニストの荒田和豊さんで〜す。
おはようございます。朝から本当にありがとうございました。
アラタ:いいえ、、
フミ:大先輩なんですけども、、なんかねバイオリニストと簡単に紹介してしまいましたけども、九州が誇る九州交響楽団の元バイオリン奏者ということで、2019年に退団されたと言うことですけれども、でもあの、、堅苦しいプロフィールじゃなくてこっちが良いんじゃないかと、、ご紹介いたします。『たいした英才教育もないのに、17歳からバイオリンを弾き始め5年後の22歳で音楽大学に合格し、オーケストラ入団の10年目に首席奏者に。好きなバイオリンのスキルアップと好きなワンコの情報発信をしています。』、、と簡単ですけども、、それねぇ〜簡単に書いていただいてますけども、、これ英才教育もなく17歳でバイオリンを始めって、、それでバイオリニストになれるんだっていう、、私たちにとって驚愕ですよ。
アラタ:ねぇ、、今考えてもちょっとおかしいですよね。
フミ:もうあの、、前世に弾いてたんじゃないか、、と言う感じがしますけど、、
フミ:バイオリンの世界ってね、3歳4歳から始めてやっとこさ音楽大学の道に、プロフェッショナルの道に行けるかどうか、、ほぼほぼ行けないですけども、そして、さらに難関のオーケストラにに入団と簡単に書かれてますけど、、無茶苦茶狭き門ですよね(笑)
いやこれはホント、レジェンドです。でもまぁ、、言われるでしょ、、17歳から?
アラタ:自分の今の歳から考えれば過去のことやから、、でも例えば今17歳の子が今やってきて、『音楽家になりたい』って言われたら、、『ちょっと無理ちゃう』って言うかなぁ、、
フミ:『ちょっと別の道も、、それもいいかもしれない、、』ってなりますよね。
アラタ:でも、そう言う人多いよ、このごろ。。大学卒業してやっぱり音楽したいって言う。『よう考え・・』って言うよ。
フミ:『時代が時代だけにねぇ・・』けっこう大変なコロナ禍になって分断されましたけども、、けっこう大変な方に分断されましたジャンルですもんね。
アラタ:こうしようって言うんじゃなくて、なんとなくそうなったから。
フミ:あ、でも正式プロフィールにはね、私も愛してやまないバイオリニスト、、アイザックスターンというものすごい巨匠が居られるんですけどもね、アイザックスターンの国連での演奏に深く感銘し17歳でバイオリンを始めるという公式プロフィールが、、
アラタ:なんか僕が国連の演奏会聞きに行ったみたいでしょ? あの、テレビでやってたんです国連の演奏会。 それでテレビで見てね、、テレビで見て感動するくらいやから相当のエネルギーやったんやろね。まあ、その後、実際にアイザックスターン聴きましたけど、やっぱもうそれはすごかったですよ。
フミ:演奏もそうですが、人としても素晴らしい。
アラタ:それが現れてるね、、音に。
フミ:で、その前は何もしてなかったのですか?
アラタ:ギター弾いてましたかね、、
フミ:荒田さんギターの名手でもありましたね、、
アラタ:いやいや、そんなことはないのですが(笑)父親がポロポロ弾いてるのを見て、、『あれくらいなら出来るか、、』小学校くらいからギターはさわってましたけどね。たぶん、それで左手の方はなんとなく押さえるのは得意やったかもわからんね。弦を押さえるっていう感覚がね、、
フミ:いや、、でも、、弦楽器の人、右手がやっぱり90パーセントじゃないですか、、
アラタ:右手動かすこと、、難しいねコレ。
フミ:それはもう永遠のテーマのように、、全ては右手って言言いますね。
アラタ:17歳の時に突然始めたけど、その時、サポートしてくださった中学校の美術の先生が居られたのよね。
フミ:音楽の先生じゃなくて?
アラタ:そう、美術の先生、その先生が音楽部の顧問になってたのを高校2年の時、中学校のクラブに遊びに行って、もともと器楽部と言うクラブやったけど名前も担当の先生も変わっていて、前は理科の先生が顧問やったけど美術の先生に変わっていたのね。
アラタ:その先生が驚異的に楽器を貸してくれたり、、今では考えられんね、、今そんなことすると教育の機会均等でおこられるよね。先生は学校に楽器持って来たり、楽譜持ってきたり、、それで初めてバイオリンさわらせてもらった。
フミ:じゃ、その先生が居なかったら、、
アラタ:それで、まだもう一つ奇跡があって、その先生の弟さんが、、まあ今でもとても有名な方なんですが、日本の弦楽器の職人さんの中でも第一人者。
フミ:そうだったんですか。。中学校の美術の先生ではあるけれども音楽に精通してらした。
アラタ:弟さんはバイオリンのスペシャリスト、今も健在で仕事は子供さんに引き継いだけども、、その方に自分は助けられた、、そういう偶然の出会いがあったの。
フミ:17歳で始めて、、すぐ受験をしたんですか?
アラタ:そうそう、、だからね17で始めて一年位で合格するわけはないやないですか。。
アラタ:合格するわけないですよね、、きらきら星程度でね。まぁ確かに楽器始めて1ヶ月くらいでビバルディの協奏曲位は弾いたと思う。
フミ:ホントに、、それもだいぶ奇跡的ですよね。
アラタ:そうね、、それもね。。だから22で合格するまでの間17からの引き算したら5年くらいあるでしょ。だから、5年間くらいは練習したのよね。
フミ:5年で音大いけますかねぇ?
アラタ:無理。
フミ:無理ですよね。
アラタ:ま、その当時自分の卒業した京都市立芸大言うのは、、
フミ:しかもそこですよね。
アラタ:なんでそこに行ったかと言うと、、私立は行くと学費が高い
フミ:学費がものすごく掛かりますよねぇ〜
アラタ:当時でも私立は高かったから、、その頃、京都市立芸大、、もう一年早く入っていたら授業料年間48000円で、私が入った時は年間96000円。
フミ:年間?
アラタ:だから、コレならいけるなぁという計算だけで受験したね。
フミ:え、、え。でもその頃、私立の音大だったら年間、何百万円ですよね?
アラタ:でも、だいぶ前の話ね。でも今でも私立は高い。だから、そこだったらバイトしていけるかな、、よしじゃここにしかない。
フミ:簡単におっしゃってますけども、、めちゃくちゃ狭き門ですよね
アラタ:そうねぇ、、今でも昔でも難しさは一緒やもんね。そう、それで(まぐれ)で合格したんね。たぶん。
フミ:いや、(まぐれ)で合格したと言うけど、努力の賜物だと思います。
アラタ:自分は今でも覚えてるもん、、英語の試験、音楽学部と美術学部共通やからものす ごく難しいの。京都市立芸大の美術ってすごい伝統のある、、音楽も伝統ありますけども、、美術は日本の美術界に冠たる竹内栖鳳とか、すごい素晴らしい芸術家がいっぱい出てる。
だから、、ものすごく偏差値高いのよ。英語の長文読解が出たのよね。今でも覚えてるけどわかった単語、、10個くらいしかなくて、、
(笑)
フミ:それでどうしたんですか?
アラタ:どうやって文章作ろうかと、、訳せって言うからなんとなく作ったに違いない。 それでねぇ、、赤ランプは点かなかったから良かったね。公立の大学って、どれかなんか一つ合格点に達してなかったら落とされる。
フミ:そうね、ちゃんと平均取れないとですね。いやぁ、けっこうなんか奇跡を起こして起こして、、
アラタ:そうね、、偶然の人の出会いやね。やっぱ、さっき言われてたコミュニケーション、、だから、人との出会いで変わっていくもんね。人間ってね。
フミ:きっかけはテレビ画面から聴こえてくるアイザックスターンの、、
アラタ:それもいわゆるコミュニケーションの一つやね。向こうが発信して僕が受けたわけやから。だからフミさんのやってらっしゃる情報発信ってすごく大事やと思う。
フミ:そうね、何かしらこうね、、どなたが聴いてるかわからないですしね。
アラタ:聴いたことで、救われることもあるかもわからない。
フミ:そう今、YouTubeで入ってきてくださったシカタロウサン、、おはようございま す。もう出席簿のように毎週入ってきてくださいます。今日はバイオリニスト特集ですよ。
フミ:私はバイオリニストだからよく分かりますが、どれだけの奇跡と努力が重なっているか、、奇跡も努力がないと。
アラタ:たぶん、その前に やりたいという気持ちがあったのよ。バイオリンを弾きたい、って言うのが、何かしたいって思わないと開けて行かんね。
フミ:ご両親は、、コレやりたいんだけどって言った時どんなでした?
アラタ:だからまあ、一般的に言うと高校卒業した人間が3年も4年も5年もぶらぶらしてたら、、親戚の人に言われたみたいよ。『オタクの長男は何をしてるんや!いいかげん働かしたらどうや』言ってきたみたいやけど、、『いやあいつは何か考えとるから、ほっといてやってくれって』
フミ:待ってくれたんだ。。
アラタ:で、父親が僕に言ったのは『経済的なことは何もしてやれんけど、ただ時間はやるからしっかりやりなさい』みたいなことは言ってくれた。
フミ:なんてできた親御さん。。なんて出来た人なんだろ。
アラタ:尊敬できる父親やね。
【続く】 インタビュアー 村上ふみ