やめよかなと思った時は稽古します。
バイオリンで稼ぐ、音楽で生計を立てる。
それって自由でキラキラして楽しい舞台が見えるように思いませんか?でも音楽家の日常って、、特にオーケストラの生活はといえば、、
- @音階練習
- @基礎練習
- @仕事の楽譜の譜読み(複雑な曲だとだいぶ前から稽古する)
- @稽古
- @また稽古
みたいな感じで、、結構一日中楽器さわってたみたいな、、
ご飯食べるの面倒だな、、みたいな生活なんですよ。
地味で、疲れるし、譜読みってしとかないとリハーサルで困るのは自分だし、、
それで生計立てるなら、、これが自分の天職と思うしかないし、実際そう思うし。
それが数週間、、演奏会のシーズンで続いたりすると、一週間に練習しとかないといけない曲が何曲もなる。しかも毎日の移動と本番の疲れ、家事労働に加えて自分の楽器の練習も、、みたいな日が続くと、、ほんと音楽家はオーケストラ奏者は労働者にしか思えなくなります。
でも、自分が大変な思いでリハーサルや本番に参加したことが、お客さまの喜びに変わる時こそが最上の喜び、、、
だいぶ前に《禁じられた遊び》をギターで弾いて差し上げた際、最前列のご婦人に涙。
なんでも山で命を落とした息子が弾いてた曲とのこと。
そんな時に立ち会った時、、自分はこのために弾いてきた、演奏してきたんだと思えるのです。ホントの心が通じていかなければ味わえないことかもしれません。
人に感動していただくためには自分を律する、、まず自分のコンディション、、実力を正しく伝えるテクニックの確保が要ります。
今でも自分はバイオリンの基礎トレーニングには毎日最低でも1時間は掛けます。
これは結構大変なことで、やってみたらわかりますが1日1日過ぎてゆく時間の中で、、
今日はもういいかなって、、やめよかなって、、思うものです。
孤独な作業です。
人と関わる前にはこの孤独な作業抜きでは出れないのです。
これって、人間関係にも置き換えれることで、、まず自己確立、、そして社会へ参加。
流されてしまって自分の意見も無いようでは社会に飲み込まれてしまいます。
キチッと自分を作っていく、そしてオーケストラという社会に参加する。
自分を大切にすることが相手を大切にすることを学ぶ。
自分が弾けてもないのに相手にあれこれ言うのは間違ってますね。
音楽を突き詰めれば、、突き詰めないと見えてきませんが、、人との交流の方法も見えてきますね。
やめよかな、、そんなふうに思ってやめてたら見えてこない世界だと思います。