打てば響く。 焼けば灰。 吹けば飛ぶ。
オーケストラの社会というものは入団してみてわかることが多く、、仮に新卒22歳で入団して60歳まで働くとして、、ずっと付き合っていく仲間だったんだということが入団時にはわからないのですが、、50歳越えたくらいから、、長い付き合いなんだなぁと思うのです。
普段からもっと丁寧に付き合ってきとけばよかった、、と思っても、そう思った時にはすでに遅し、、人付き合いに関して反省の日々が続くのです。
@あんなこと言うんじゃなかった。
@もっと親身に話を聞くべきだった。
@先輩の言うことに素直に聴いておくべきだった。
全て後の祭りです。若気の至りとはこう言うことでしょう。
私自身の性格は、、後先考えないで、人の迷惑も省みず、、したいことはする言いたいいことは言う、、他人にとっては迷惑なヒト、、ですネ。
出る杭は打たれる、、数十本ぐらい打たれた頃、、そう55歳くらい過ぎた頃から自分に(反省する)作業が生まれてきたように思います。
近頃の若いもんは、、みたいな言葉は言いたくはないけど、、私から見ると、皆さん(いい子ちゃん)のように見えます。
職場や世間で騒動を起こすことは迷惑なこととは思いますが、、もっと真剣にぶつかっていいんじゃないですか。。
自分の思うように生きるって迷惑なことでしょうか?
生きてるだけで価値がある、意味がある。他人と自分は違うのだからぶつかったり意見が違うのは当たり前。
人と同じならクローン人間。一卵性の双子さんでも性格や動き方考え方は違うそうです。
打てば響く、、この言葉は昔から好きです。京都は大徳寺の尾関宗園というお坊さんの説法で覚えてます。
その昔、修学旅行生や観光客に説法されてました。エネルギッシュな僧侶でした。
自分はラジオで放送があったのを録音して何度も何度も聴いてました、、50年以上前の話です。
(打てば響く、、)人というものは良くも悪くも反応がある。
自分の存在を感じる。
その後に尾関宗園さんはこういうフレーズが続きます、、焼けば灰、、吹けば飛ぶ、、人というものはそんなものだという教えです。
京都はそういう人というものを、人の切なさを感じさせてくれるところが多くあります。
人生教育というのか、、庭ひとつとってもそうです。龍安寺の石庭が有名だから観にいこうかとなって、龍安寺の入り口に立って、有名な石庭というものはどんなものか、、ワクワクしながらけっこうしんどい道を歩き、、少し息せきながらぐるっと石庭を見れる所に着いって、、一生懸命歩いて来て、、見たものは、、何これ?これがあの有名な石庭?
そう、真実は大したものじゃない、、そこにたどるまでの己の心が真実、、龍安寺の石庭はこういう教えだそうです。
焼けば灰。 吹けば飛ぶ。 打てば響く。